マスターのひとりごと(インフォメーション)

2012-09-26 19:56:00
 
 
食が細かった私が唯一進んで食べた食パン…
 
久々に地元に戻り、大好きなパン屋に行ったら閉店してた。

 

昔、母が働いていたパン屋で、パン屋のおじさんは母子家庭で貧しかった家に
給料日前になると、わざとらしく角を潰した食パンを母に持って帰らせていた。
 

夜勤もしていた母が過労で倒れたと知れば、商店街の金券と
どっさり食パンを置いていった。本当に大好きなおじさんだった。

でも思春期になると私は中学校指定でもあったそのパン屋のおじさんが
学校で話しかけてくるのが恥ずかしくてうっとうしく思い、冷たくした。
高校生になると、会えば挨拶する程度になった。


ある日、「最近、冷たいな、おじさん嫌われたか」と冗談ぽく聞かれ
「あまった食パンばかり食べさせるからね」と私も冗談のつもりで返した。
次の日の夕方、母は袋いっぱいの菓子パンを持って帰ってきて
パンを持ったまま私を叱った。


「冗談でも人を傷つけるの、分からないのか!」と。
おじさんが悪いことしたと、菓子パンを山ほど母に持たせたのだ。

私は罪悪感でいっぱいになり、おじさんに、なんだか会えなくなった。


その後おじさんは

「おじさんバカだなぁ、いくら好きっても飽きるよな」

と笑って気にしていなかったと、だから会いに行きなさいと母に言われた。

私は覚えてないけれど、3~4歳の頃、食が細かった私が
唯一進んで食べたのが、ここの食パンだったらしい。


私は地元を離れ就職し結婚し、子供が産まれ、パン屋のおじさんに会うことはなくなった。

一番最近では去年母が亡くなり、来てくださったおじさんと少しお話ししただけだ。
本当は謝りたかったけれど、おじさんと一緒に泣いてしまいそんな雰囲気ではなかった。


なんで閉店したんだろう。
会いたい、会話したい、なのに最悪な事を考え涙が込み上げてくる。

ずっと考え迷って今朝、やっとパン屋のおじさんに電話した。
閉店は病気をきっかけだった。


私はまず事情を全ておじさんの息子さんからきいて、電話口で泣いてしまった。

それから電話をかわり、昔みたいに親しげにおじさんは私に言った。

「誕生日に食パン焼いてあげようか。
 子供の誕生日にアンパンマンのパン焼いてあげようか」

と。

残り少ししか生きていれないおじさんの、一人じゃ立てなくなった
おじさんの私を思いやる気持ちに、また涙が出た。


そして、おじさんの気持ちと、息子さんのご好意で私の子供の誕生日に
パンを焼いてもらえる事になった。本当に嬉しい。そして謝れた事も。
おじさんは忘れたって言っていたけれど。