ハンバーグ物語
日本人の食事はずっと古来より魚食で、肉食の習慣はせいぜい明治以降200年程…
そう思われがちですが、歴史的にみると日本人の肉食の習慣は遺跡からの出土品によって縄文時代からあったことがわかっています。約5500年程前の遺跡、山形県の押出遺跡(おんだしいせき)で、クッキー状の炭化物が発見されています。
押出遺跡から出土した炭化物を科学的に分析した所、シカやイノシシの肉、野鳥の卵などが含まれていました。
卵をつなぎに使って、肉を練り込み発酵させる‥‥。これはもう、ほとんどハンバーグの原型に近いですね。
657年、天武天皇によって肉食禁止令が発布されます。これは馬、牛、犬、猿、鶏の5種の肉を食べることを禁止するというものでした。背景には仏教の殺生禁止の戒め等がありました。魚や獣の乱獲防止と、農耕期の家畜類の屠畜制限が目的という説もあります。
その後もたびたび肉食禁止令が出ています。裏返せば、それだけ肉食習慣が根強く残っていたということでしょう。
貴族階級の多くは肉食の習慣から離れてゆきますが、禁止されていなかった猪、鹿等は一般的な庶民により広く食べられていたものとされています。
戦国時代には牛や馬を兵糧にしたと上杉謙信の「北越軍談」に書かれています。
徳川時代には多くの大名が「薬食い」と言って禁制の肉を食べました。
水戸のご老公も年2回の御廟祭で牛肉を食べました。
献上品でも彦根藩井伊家では牛肉の味噌漬けでした。
このように明治の文明開化以前に肉食の習慣は一般的なものでした。
以上のような肉食の習慣の歴史の中で「挽き肉」はどうだったのでしょうか?
一般庶民の間では「挽き肉」も恐らく食べられていたものと思われます。
まず、その根拠として考えられるのは魚料理における「すり身」の存在です。
処理が悪く臭みが残る魚肉をより美味しく食べられるようにと調味料等を混ぜ込んだり、骨に張り付いた実の部分や固い部分を食べやすくするために、叩いて細かくしたり、すり鉢で摺る事で滑らかにしたりといった生活の知恵から生まれた技法が肉食にも応用されたと考えられるからです。
一般庶民が魚以上に口にする機会が少なく、人目を忍んででも食べたい貴重な肉なら尚更工夫を凝らして、一口でもより多く食べられるようにと、すり身加工すなわち「挽き肉」状に加工していたものと思われます。
記録としては残っていませんが、以上のような理由から肉食の習慣の中で挽き肉も食べられていたものと思われます。
何より、現代のように安定して農作物等が収穫できない時代の事。我々の祖先は食べられないなら食べられるようにあらゆる食材を知恵と工夫と情熱で加工してきたのですから…。