マスターのひとりごと(インフォメーション)

2012-05-31 23:26:00
 
 

昔、京都の山寺に、教養もあり、徳も積み、仏教徒としてもきわめて信心深い和尚がいた。
近傍の村人からも、たいそう慕われていた。

そんな村人の中に、一人の猟師がいた。
ある日、その猟師が米を持って和尚の所にやって来た。

和尚曰く。

ここ数日、夜になると、普賢菩薩が象に乗ってやってこられるのじゃ。
これも、長年に渡る修行と黙想の功徳だと思っている。お前も、今夜は寺に泊まり、普賢菩薩を拝むとよい。

猟師は、そんな尊いお姿を拝めるのなら、是非、拝見したいものだ応える。

だが、果たして、自分のような者に普賢菩薩の姿が見えるものかどうか、やや不審に思い、寺の小坊主に訊ねてみた。
すると、その小坊主も、和尚と一緒に、もう六回も象に乗って現れる荘厳なお姿を見たのだいう。

猟師は、小坊主にも見えるのなら、自分も見てもよいと思い、夜を待つことにする。

堂の廊下に和尚と小坊主が坐し、戸外に向かって、熱心に念仏を唱える。
その背後に、猟師も静かに座る。
夜の静寂の中に、普賢菩薩の到来を待つ。

夜の闇が深まった頃、それはついに現れた。
小さな白い光が現れ、近づくにつれ巨大な光の柱となった。
六本の牙のある雲のように白い巨像に乗った普賢菩薩が、眼前にそびえたったのである。
和尚は、その偉容に手を合わせ、一心不乱に念仏を唱える。


するとその時、どうしたことだろう、和尚の後ろにいた猟師が、弓を取って、
すっくと立ち上がり、その普賢菩薩像にねらいを定め、ひょうと弓を引いた。
放たれた矢は、菩薩の胸に深々と突き刺さったのである。
その刹那、雷鳴のような轟が走り、光はすっと消え、深い闇と静寂が残るばかりだった。

当然、和尚は烈火の如く怒った。
お前は何という罰当たりなことをするか。
畏れ多くも、普賢菩薩様に弓を引くとは・・・。

猟師はと言えば、落ち着きはらった様子でこんなふうに応えた。

和尚様、どうか、お気を鎮めて、私の話を聞いてください。
和尚様は、長年修行をお積みになり、お経の研究をなさってこられた方なので、
そういう方に普賢菩薩のお姿が見えるのは当然です。
でも、この私は、無学な猟師で、生き物を殺めることを生業とする殺生な身の上。
そんな私に、そもそも、普賢菩薩のお姿が見えるはずはないのです。
なのに、私には、その姿がはっきりと見えた。
ということは、あの見えた物は、偽物にちがいない。何かの化け物であり、
きっと禍をもたらすものにちがいないと思って、弓を引いたわけです。


………。
日の出になり、和尚と猟師は、その普賢菩薩が現れたあたりに行ってみた。
血だまりができていて、そこから、点々と血痕が山の中に続いていた。
その血痕を追いかけていくと、猟師の矢に射抜かれた大きな狸の死骸が横たわっていた。

ラフカディオ・ハーンは、最後に、こう結んでいます。

「和尚は学問のある信心深い人だったが、狸にやすやすと騙された。ところが、
猟師は無学で不信心な男だったが、しっかりとした常識をもっていた。この生来の才知だけで、
危険な迷妄を見破るとともに、それをうち砕くことができたのである」。

 

和尚を小ばかにするでも、彼に対して劣等感を持つでもなく、その学識に敬意を示しつつも、己の経験に基づいて確信を持って弓を射る…。等身大の知を持った猟師の『常識』こそが凄いんですね。

まさに無知の知というべきものでしょう。

オッサンも見習いたいものです。